外傷

交通事故と救急医療体制

分類:外傷

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 日本で高速道路の建設が始まり、一般市民に自家用車が普及しはじめたのは、東京オリンピックが開催された昭和30年代でした。全国の年間交通事故発生件数が昭和30年ころは約10万件であったのに、昭和40年ころには約56万件にまで急速に増加したことからも、いかにモータリゼーションの波が急速であったかがわかります。

 警察庁によると昭和40年ころの交通事故による年間死亡者数は約1万3000人です。平成20年の年間交通事故発生件数76万6147件、死亡者数5155人と比較すると、これがすさまじい数字であることが理解できるでしょう。道路整備、交通規則整備が不十分で交通マナーが悪かったことも否めませんが、救急医療体制の不備も大きな問題であり、「交通戦争」とまで表現されていました。

 交通事故患者の増加を念頭に置いて、昭和38年に消防法の改正により救急搬送業務は消防の業務と定められ、昭和39年には搬送先として救急病院など(いわゆる救急告知病院)を定める厚生省令が制定されました。昭和40年には交通事故による重症外傷患者の診療を目的として、済生会神奈川県病院に交通救急センターが開設されました。今日の救命救急センターの原型のようなものです。

 昭和51年の厚生省・救急医療懇談会による「当面とるべき救急医療対策について」という報告書を受けて、全国に救命救急センターが整備されはじめ、現在では全国に約210カ所の救命救急センターが設置されています。まさに、日本の救急医療の歴史は、交通事故の歴史でもあるのです。

 交通事故による年間死亡者数は昭和45年の1万6765人をピークに一度減少し、昭和54年には8466人になりました。しかし、平成に入るとまた増加し、平成4年には1万1451人になりました。その後、再び減少して平成20年には5155人となっていますが、法整備、道路環境の整備、車体の改良、シートベルト、エアバッグ、チャイルドシート、ヘルメットの普及などが原因として考えられます。

 救急医療の整備ももちろん貢献していると考えられていますが、Preventable Trauma Death(防ぎ得た外傷死)が、まだ多く存在すると予測されている現状では、さらに救急医療体制を整備すれば、より多くの命が救えるのではないかと考えられており、そのための努力が今も進行しています。

 とくに、平成13年度から開始されたドクターヘリ事業は平成21年現在、15施設で運用されるまでになり、さらなる整備も計画されており、よりいっそうの救命が期待されています。

(済生会横浜市東部病院救命救急センター医長 山崎元靖)